「観察(Observation)」と「気づき(Awareness)」

フラワーレメディ

書籍やwebなどで、フラワーレメディのチェスナットバットは「同じ間違いを繰り返す状態」におススメと説明されますが、これがなぜ「問題(レメディが必要な状態)」とされるのでしょうか?そこには、「ミスをした」ということよりも、「今この瞬間、何が起きているのかを見つめようとしていない」という背景が隠されているように思います。

別のページでもご紹介していますが、チェスナットバッドのレメディは、38種類のレメディの中で唯一、新芽(ホワイトチェスナット / 和名:セイヨウトチノキ)から作られます。
(^^♪ チェスナットバッドの説明ページは、こちらです。

チェスナットバッドを必要としているケース

チェスナットバットの新芽を解剖(植物さん、ごめんなさい)しますと、驚くほど精巧に、春に展開する葉や花が、小さく綺麗に収納されていることが分かります。新芽の中にすでに未来の形が折り畳まれているのです。これを私たちの人生や経験に置き換えますと、非常に興味深い意味が見えてきます。

ケース① 何かの出来事が起きても、その意味や自分の感情をじっくり味わう前に、すぐ次の出来事に意識が向いてしまう
ケース①のような方は、食事に例えますと「よく噛まずに飲み込んでいる」状態で、経験が自分の血や肉にならないため「経験の未消化」が起き、結果的に栄養不足(教訓や学習不足)のまま、次回も同じ行動を繰り返してしまいます。

ケース② 目の前で起きている失敗や違和感、あるいは「何かの兆し」から目をそらし、さっさと忘れてしまう
ケース②のような方は、意識が常に「次は何をしよう?」という未来に向いていて、過去を振り返らず潔い良い方のように見えますが、これは、いわゆる「現実逃避」です。
実は、私たちが体験する「一つの失敗」や「一つの出来事」の中には、「何が起きたのか(原因・きっかけ)」「なぜ、そうしたのか(動機・行動)」「次はどうすればいいのか(対策)」といったすべての情報が、ギュッと凝縮されています。大切なことがぎっしり詰まったパッケージを開けずに捨ててしまうのは、あまりにも、もったいないです。

チェスナットバットは「新芽」から作成されたレメディで、芽の中にすでに未来の葉や花の形が折り畳まれているように、目の前の経験の中に、おそらく未来への鍵があるように思います。

新芽の中から繊毛に覆われた葉が展開

チェスナットバットが目指す「学び」とは?

チェスナットバットが「花や種」ではなく「新芽」のレメディである理由の一つは、「プロセスはすでに始まっている」ことを示すためと考えられています。

過去の失敗は決して足止めするものではなく、「次にどう行動すべきか」を教えてくれる設計図のようなものです。その設計図を丁寧に広げて眺める(観察する)ゆとりを持つことが、このレメディの「学び」の本質のような気がします。

チェスナットバットのレメディが必要な状態(不足している状態)の方は、ホワイトチェスナット / 和名:セイヨウトチノキだけでなく、もちろん梅や桜の新芽でも同じことですが、「新芽(表面的な出来事)」だけを見て、「枝に芽がついている」「みんな似たような芽だ」「もうすぐ春が来る」という記号的な認識だけで素通りしてしまう傾向にあります。これでは、来年また新芽がついても、同じ感想を抱くだけになってしまいます。

「ある出来事が、ご自分の将来の『花(成功や幸福)』につながる設計図だとしたら、ここから何を読み取れるでしょうか?」

そう考えるだけで、チェスナットバットのエネルギー(観察力と柔軟な学習能力)が動き始めます。おそらくバッチ博士は、自然界の調和や植物観察を通して、その背景にある物語や無限に広がる未来に思いを馳せていたのではないでしょうか?

「過去の経験から学び、同じ間違いを繰り返さない」というテーマは、決して「自分を厳しく律する」ことではなく、「目の前の小さな新芽(出来事)を、どれだけ豊かに味わい、その中に隠された設計図を見い出せるか」という、とてもクリエイティブで奥深いフラワーレメディのお話しだったのです。

まとめ

「観察(Observation)」と「気づき(Awareness)」というタイトルで記事を綴ってきましたが、植物観察を通じて様々なことに「気づく」ことは、「物事を立体的に捉える」作業のようなものかもしれません。この作業に慣れてくると、人生において様々な変化を感じることが出来るのではないでしょうか?例えば・・・

※ 1つの出来事から得られる「学び」「気づき」が10倍!100倍!以上になるかもしれません。
※ 次に同じ状況が来ても「あ!これはあの時のパターンに似ている」と焦ることなく、冷静に対処できるようになります。
※ 私たちは「大きな出来事」が起こらない限り、なかなか自分自身や周囲に注意を向けず、小さなサインを「気のせい」として片付けてしまいます。「今、目の前にあるものや出来事」をじっくり眺める時を持つことで、「兆し」に気づくセンサーが少しずつ磨かれていきます。



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