生薬「杏仁」「巴豆(はず)」で、有名になった漢方医のお話し

漢方の本場、中国になかった処方を考え出した日本の優れた漢方医には華岡青洲先生や吉益東洞先生をはじめ、たくさんの名医がいらっしゃいますが、今回はその中のお一人、原南陽(はら なんよう)先生のお話しを少しご紹介します。

原南陽先生のご紹介

1753年、先生は水戸藩医の子として生まれました。江戸時代の京都は学術の中心であり、「医学を学ぶなら京都に行け」と言われるほどでした。その京都で長く遊学し、山脇東門先生や賀川玄悦先生に学び医術を修めました。その後、江戸の小石川にて開業しましたが、しばらくは貧乏な暮らしぶりでした。

先生はもともと大のお酒好きで、小石川の診療所の近くにお屋敷があった水戸藩のお役人たちと常日頃から飲み屋で親交を深めていました。
ある日、水戸藩主が急病との知らせを受け、江戸じゅうの医者が呼ばれましたが治療の効果は見られず、とうとう水戸藩主は危篤に・・・そこで水戸藩のお役人は、飲み友達⁉でもあった原南陽先生に藩主の治療を依頼します。

お昼寝中(笑)の先生は、役人から藩主の容態を聞き、水戸藩邸に出向く前に、町の薬店で「杏仁」「巴豆(はず)」それぞれ3粒を9文で買い求めました。

早速、藩主を診察し、持参した「杏仁」と「巴豆」を茶碗ですりつぶし、熱湯を加えて藩主に飲ませました。「1時間後に様子を見に来るので、それまで熱燗でも飲んで待っている」と言い残し(→ やはり、お酒好きなんですね)、本当に1時間後に藩主は回復したのでした。

上記は、古典の金匱要略にある「走馬湯」という漢方で、杏仁と巴豆2種類のみからなる処方でした。先生は、なんと!生薬を9文で買って水戸藩主を治し、そのお礼として500万石を手にしたのです。その後、水戸藩の侍医として召し抱えられたと、江戸の町では大評判になりました。

生薬「巴豆」は、トウダイグサ科のハズ Croton tiglium の種子で、薬用としての使用のはじまりは中国と考えられており、『神農本草経』の「下品」に収載され、古くから強力な瀉下薬として食中毒などに用いられてきました。しかし毒性がかなり強いことから、現在では使われなくなりました。

「杏仁」に関しましては、先日の漢方勉強会でお話しさせて頂きました。アンズ Prunus armeniacaの果肉と核を分離し、硬い核を乾燥した後、割って仁を取り出して更に乾燥したものが生薬「杏仁」です。

原南陽先生のお話し、いかがでしたでしょうか?「杏仁」「桃仁」がテーマの漢方勉強会の中でお伝えできなかったため、当ブログでご紹介させて頂きました。



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